混乱した現代社会の中に救いを求めて
―我々はどこに希望を見出し得るかー
大会長 白井 幸子(ルーテル学院大学名誉教授)
過去を振り返ってみると、人類はいつの時代も戦争や飢餓や様々な争いや自然災害の中を歩んできたことを知るのですが、現代もまた、国の内外を問わず、これまでに経験したことのないような新しい深刻な危機の中にあります。
地球規模の問題としては、ますます加速する地球温暖化の問題、食料危機と難民の問題、隣国に侵攻する大国の横暴、人間の生存を脅かす核戦争の危機などがあり、国内の問題としては上記の地球規模の問題に加え、止まることのない少子化の進行、持続する実質賃金の減少と生活苦、平和の到来を遠ざけるかのような軍事費の増大、前途に希望のない若者達、寿命は延びたけれども生活のめどの立たない高齢者の問題などがあります。
重荷を背負って生きる私たちは希望を必要としていますが、生活の苦しさにおいては今日より比較にならないほど苦しかった日本の戦後にはひとつの希望がありました。それは、戦いが止み、軍人の支配が終わり、男女平等の民主主義社会が到来するという希望でした。
今日の社会は、充分とは言えないまでも戦後に抱いた上記の希望のかなりの部分がある程度実現しているのですが、それにもかかわらず、国の内外の新たな深刻な問題が私たちの希望を奪おうとしています。
日本は、自殺率の比較的高い国として知られています。アジアの中で日本は決して貧しい国とは言われませんが、2017年の自殺率国際比較によれば、日本の自殺率はアジア諸国よりかなり高いのです。また、若者が将来に希望を持っているか、学ぶことに意欲をもっているか、などに関するいくつかの国際的調査がありますが、多くの調査によればそこでも日本の若者の位置はかなり低いと報告されています。
たとえば、総務省による平成26年版「子ども、若者白書」によれば、日本を含めた7か国の満13から29才の若者を対象とした意識調査で、自己肯定感を持つ人の率は日本が45%であり、他の6か国(米、英、仏、独、韓国、スエーデン)が70%以上であるのに比べて、際立って低いと報告されています。
救いは多くの場合希望を持つことを通して現れます。現代に住む私たちは、何を祈り、何に希望を見出し、何に救を求めようとしているのでしょうか。
核抑止論の幻想に頼るのではなく、隣人とさらには隣国の人々と互いに助け合い愛し合うという、平和とへの道を求め、祈りたく思います。